イスタンブール行きたい

たまに書きたくなります

私のような口下手で「就活が苦手」な就活生に伝えたいこと

映画『何者』を観たので、せっかくだから私が就活について考えてたことを書いてみる。

内容としては、これから就活する人で私のような口下手な人向けに、口下手で就活が苦手な人は就活でどうするべきかみたいな話だ。就活が苦手でインターンに落ちまくった私が考察した内容なのでそれなりの説得力はあるんじゃないかと勝手に思ってるが、推測や経験していないことを勝手に書いてたりするのであまり真に受けすぎないようにもしてほしい。これを読む就活生がいるのかわからないが...

この文章の対象者は、

 ・高学歴の文系だがコミュ力なかったり口下手であったりする人。

 ・「就活が苦手」な人

まあこの2つは同じようなものか。

対象とならないのは、

 ・コミュ力めちゃある人

 ・ハイスペックな人

 ・高学歴ではない人

 ・理系

である。コミュ力があって就活が得意な人はこんなの見てないでさっさとゴールドマンサックスやマッキンゼーとかを受けたほうがいい。

ここからは私のような「就活が苦手」な人向けに伝えたいことをいくつか述べたい。

ちょっと偉そうに聞こえるかもしれないけど、許してください。

知名度や周りの目を気にする必要はない。あなたと合う業界、合う企業を探そう

② 「就活が苦手」な人のほうが幸せかもよ?(って勝手に思ってる。根拠は一応ある)

③ エンジニアのすすめ

知名度や周りの目を気にする必要はない。あなたと合う業界、合う企業を探そう

(1)高学歴でハイスペックな人たちに人気のいわゆる「上位企業」は通らないと思ってた方がいい

高学歴な文系の学生に人気の業界は、商社、不動産、広告、航空、コンサルなどだろうか。これらの業界はとても人気で、高学歴の優秀な人がたくさん受ける。たくさんの人が受けるということはどういうことだろうか。一次や二次の選考はグループディスカッションや集団面接が多く、自己をアピールする時間が非常に限られているということだ。普通の個人面接であっても、時間は短いのではないだろうか。このような限られた時間の中では、どうしてもコミュ力がある人が上に進むことになる。したがって、コミュ力に自信がなかったり口下手な人は、こういった人気企業で通ることは難しいと思ったほうがいいかもしれない。

 それに、このようなコミュ力がかなり高い人ばかりの環境が、果たして自分に合っているかどうかは考えたほうがいいだろう。また、これら人気業界を志望する理由として、年収が高い、ということ以外になにか思いつくかもよく考えるといいと思う。よほど強い志望理由がなければ、年収が高いから、ブランドがあるから、みんなが受けているから、という理由でこれらの業界を受けることはないと思う。大企業であっても、時代の変化についていけず問題を起こしたり倒産したりする会社はたくさんある。今安定していて年収が高い企業だからといって、この先もずっとそうだとは限らない。

(2)就活はマッチング。自分に合う業界、企業を探そう。周りの目は気にする必要なし

 人の性格は千差万別で、企業の性質や雰囲気も然りである。多くの企業の選考に落ちた人は、単純に縁がなかった、合わなかったのだと思った方がいい。恐らくその人とその会社の雰囲気が合わなかったのだろう。だが、この世にはこれだけ多くの企業があるのだから、まだ出会えていないだけであなたに合う業界やあなたに合う企業は必ずあるはずだ。それを見つけるのは簡単ではないかもしれないが、探す努力をするべきだ。大きな会社や有名な会社に入る必要はない。周りからの評価と、自分が働きやすいことのどっちが大事だろうか(ちなみに、私が内定先をだれかに聞かれて答えても、知ってると答えた人は今まで一人もいない)。また、口下手な人が、会社のことをよく知り、会社に自分のことをよく知ってもらうには、一次面接で十分な時間を取れるような採用人数も受験人数も少なめな企業のほうがいいんじゃないかと思う。ただし、ブラック企業には気を付けましょう。

② 「就活が苦手」な人のほうが幸せかもしれない?

就活が得意な人は、異なる業界の「上位企業」からいくつも内定をもらったりする。かたや、就活が苦手な人は、多くの企業で不採用となり苦労して1社で内定となったりする。どちらのほうが幸せだろうか。実は私は後者の方が幸せなのではないかと思っている。理由は、後者の方がより自分に向いている職場で向いている仕事をできる可能性が高いように思うからだ(統計を取ったわけではないので実際のところはわかりません。)。多くの内定を得た人は、体は1つしかないので、どれかの企業を1つ選ばなければならない。そうして最終的に選択した企業は、果たして本当にその人に合うのだろうか。

就活が得意な人は、そのコミュ力の高さと頭の回転の速さで、たとえその企業と合わないところがあっても選考をうまく器用に乗り越えることができてしまうのではないかと思う。それよりは、就活に苦労してやっと合うところを見つけられた、という人のほうが、就職した後の幸せ度は高いのではないだろうか(能力が高い人はどこでもやってけるとか、どこでも転職できるとかそういう反論はあると思うが…)。

 ただし、この話は、高学歴の人に限る。なかには人数集めのため使い捨てのように適当に人を雇用するブラック企業もあるみたいなので、そういうところに就職できたとしてもだからそこが合っているとは思わない方がいい。そういったところは、採用実績校や評判、離職率などから判断しましょう。

③ エンジニアのすすめ

 これは私がエンジニアになるから、ということでくどいと感じるかもしれないが、就活が苦手な文系の人にエンジニアを勧めるのはそれなりに根拠はある。就職して文系に求められることは、総合職で言えばおもに営業や企画、マネジメントなのではないかと思う。だがこれらの能力は、就活が苦手な人はあまり持ち合わせていないのではないだろうか(そうでもないのかな?私はそうだ)。それよりもむしろパズルを解くのが好き、とか、何かを自分で作るのが好き、というのであれば、エンジニアは向いていると思う。ただ、エンジニアはチーム単位で細かいことまで話し合ったりするので、口下手はうまく矯正できるよう努力しないといけない。私も今苦労している。しかし、コミュ力とかそれだけで勝負しなければいけない文系の総合職よりは向いている場合があるのではないだろうか(全然向いてない人もいるので気を付けてください)。それに、エンジニアの需要は高まっているのにその能力を持つ学生は少ない。未経験でも採用される可能性は十分にあると思う。私もHTMLとCSSしかわからなかったが採用された。

エンジニアになることのメリットを挙げると、

 ・会社に頼らなくても生きていけるようになるかもしれない

 ・やりたいことができたときにすぐに試してみることができるようになる

 ・ITは業界横断的なものなので、その気になればいろんな業界に転職できるようになるかもしれない

 ・アプリとかの仕組みとかがなんとなくわかるようになって、おもしろい

 以上のような理由で、文系の人でもエンジニアはけっこうおすすめだが、エンジニアになるなら相当勉強しないといけないし一生勉強続きなのでそれは覚悟しないといけない。根気がない人にも向かない。プログラミングの勉強は簡単ではないし、なかなか進まない。プログラミングだけ勉強すればいいってものでもなく、コンピュータやネットワークの仕組み、サーバーをいじったりデータベースをいじったりと勉強することは山ほどある。あと、婚活や合コンとかやるならどうしても商社マンや銀行マンには勝てないかもしれない笑。私もいろいろと偉そうに書いたが、実際まだまだエンジニアとしてのレベルは全然だめだ。もっともっと勉強しないと全然働けるレベルではない。が、プログラミングは楽しいし、やりがいがあると思う。これから就活する人は、まだ時間もあることだし、ドットインストールProgateを少しやってみて向いてそうかどうか見てみることを勧めたい。

就活を控える、「就活が苦手」な人の参考になるようなものが書けたか怪しいが、参考になるといいなあと思う。

マレーシアでの出会いと私の就活 ちょっとした偶然の出会いが人生を大きく変えちゃったりする話

映画『何者』を観ていろいろ就活のことも思い出したりしたので、せっかくなので自分の就活を振り返ってみた。

これこそまさに承認欲求みたいで痛々しいが、これから就活を控えている人で、私のような口下手でコミュ力なくて「就活が苦手」な人の助けになれる可能性があると思うので、痛々しいのは自覚したうえでまとめてみる。

*実際書いてみたらただの何が言いたいのかよくわからん回想文になってしまい、なにも就活生の参考になることがなさそうな内容になってしまった。。。でもまあブログは本質的に自己満足的なものということで。。。

まず、私がどういう学生であったか、ということと、私の就活を振り返る。ただ、変な就活をしていたので就活の方法論的な話(何社エントリーして何社受けたとか、この時期どんな過ごし方してたとか)には参考にならない。とりあえず就活生にとってはサンプルは多い方がいい気がするので、とりあえず書きました。

以下に私の学生生活や私がどんな人間かを簡単に示す。

 ・田舎、ではないけれど大学内では田舎な方の公立高校出身。高校はラグビー部所属。

 ・田舎の公立高校のゴールは、受験に受かること。狭い世界しか知らなかった。

 ・高学歴とされる私立大の法学部。

 ・サークルは学生団体と音楽サークル。(音楽サークルにはあまり顔を出していなかった)

 ・学生団体に入ってみたものの、周りはすごい人たちばかりで劣等感に苦しんだ。

  自分にはリーダーシップもしっかりした考えもないということがよくわかった。

 ・学生団体の活動を通して、自分はチームを率いるのは無理で、それよりもチームの一員としてチームに貢献する方が向いているとわかった。

 ・大学の授業には真面目に出ていた。勉強はわりと好きだった。

 ・口下手コミュ障。自分の考えを言語化できない、もしくはそもそも考えがない。 (このブログを始めた理由でもある)

 ・行動力がない。口だけは偉そうなくそみたいなやつ。

 ・学生団体を利用し学部1年時に6週間アフリカに滞在し、ボランティア系インターンシップに参加。この話を一番就活の話のネタにしてた。

 ・TOEICは800点台後半。

 ・バイトは塾講師、飲食、民間学童保育運営のインターンを経験。

こんな感じです。

次に、就活を振り返る。結果から言うと、就活はほとんど苦労することなく終わった。日経大手の解禁が3月で、面接開始が6月というスケジュールだったが、内定先はITベンチャーで、スケジュールにとらわれることなく選考が行われており、大学3年の1月に就職活動を終えることができた。だから私は、ドラマであるような大きな広い部屋でめっちゃ離れた机の偉い人との面接(ほんとにそんなのあるんですか?)、ESをたくさん書かなければならない苦労、面接のスケジューリングの苦労、スマホを離さず持っていて連絡を待つ苦労などは経験していない。ただ、私が就活を早く終えることができたイコール私が就活が得意だった、ではなく、間違いなく私は就活がとてもとても苦手だった。内定先の企業の倍率は知らないが、知名度もないし5倍もないのではないだろうか。わからないけれど。

 秋や冬の選考のあるインターンシップはけっこうたくさんの会社にエントリーしたが、どれもES落ちか1次面接落ちだった。理由は簡単で、私が口下手で頭の回転が遅いからだ。通った1社も、多くのタームで何度もインターンシップを催しており、集団面接だったが同じ組の7割ぐらいがインターンに参加できていたようなところだった。どうしてそれでも早く内定を取ることができたかは、結果論になってしまうが、偏に自分に合う企業を見つけることができたからだと思う。

 内定を頂いた企業は、都内のITベンチャーだ(ベンチャーといっても創立から約15年たっているので、ベンチャーといえるのかどうか怪しいが)。なぜ文系ながらITを志望したか、というと、そのきっかけは大学2年の春休みにまでさかのぼる。大学2年の春休み、一人でマレーシアに旅行に行った。そこで、偶然一人の日本人男性に出逢った。その人は本当にコミュ力の塊みたいな人だった。しかもめちゃめちゃチャラい。最初は苦手な人だと思った。基本的に真面目な自分と対照的なように思えたからだ。実際対照的な、真逆な人だった。しかし後にものすごくその人に惹かれることになる。

 数日の間その人と行動を共にすることになった。歳を聞けば、30歳と言っていた。もっと若そうに見えたので驚いたが、なんで30にもなってこんなに東南アジアをふらふらしているのだろうと思った。なんとその人、フリーランスのエンジニアで稼ぎたいときに稼いで好きなときに旅行しているのだという。その人のカリスマ性、そしてエンジニアということに、単純にかっこいい!!と思って、憧れた。私も、技術を身に着けてどこででも生きていけるようになりたいと思った。ちなみにその人は現在は会社を立ち上げてCEOになっている。来年にはマレーシアでも起業するらしい。

 マレーシアから帰国し、その日本人への憧れは鮮明に残っていたものの、行動力のない私はすぐに何か行動を取るわけでもなかった。大学の授業でHTMLとCSSをちょっと触ったぐらいだ。だがやはり自分にはできなそうだと思ってITのことはしばらく忘れた。3年になり、就活を意識し始めた。私は不動産に興味を持ち始めた。深い理由はなく、単純に東京の街がかっこよかったからだ。夏ぐらいまでは興味を持っていたが、いろいろ考えて辞めた。理由はいろいろあるが、あの高倍率を戦うのは効率が悪いし自分には無理だと思ったからだ。

 9月になると、8月解禁だった1個上の先輩も就活がだいたい終わっていたので、サークルの先輩に話を聞いた。聞けば、文系の先輩で未経験から大手のシステムインテグレータに行く人が数名いるということだった。自分にはできないと思っていたエンジニアもできるのかもしれないと思い始めた。また、この頃、自分が所属するゼミのホームページの編集を行い、こんな楽しいことはなかなかないなと思った。ホームページといってもテンプレートのあるwixを使っているのでコードは全く書かないし、静的な非常に簡単なサイトではあるのだが。それでも自分はなにかをつくるのが好きなんだと思った。

 10月になった。10月はマレーシアで出会ったエンジニアの人の誕生日会があった。自分で自分の高校や大学、昔の職場の知り合いを集めて、そこで1つのコミュニティとしてしまうようなすごい人だ。15人ぐらい集まったが、エンジニアの知り合いというだけあってエンジニアの人が多く集まっていた。その人たちからいろいろな話を聞いて刺激され、よしエンジニアになろうと思った。そうして10月以降はITのみに絞った。ほかの業界にはまったく興味がなかった。

 

 ITにもいろいろある。システムインテグレータやWeb系など(ITに対してブラックなイメージを持っているとしたら、それは前者もしくは前者の下請けだ)。日本においては、ITの大企業で安定していて高収入といえばシステムインテグレータ(SIer)などだ。具体的な企業名を挙げれば、NTTデータ新日鉄住金ソリューションズ、野村総合研究所、SCSK、富士通などだ。秋以降、私はそれらの企業の長期インターンにエントリーした。しかし、前述のように通ったのは1社のみだった。選考なしの1dayインターンにも参加したが、周りは理系の院生が多く、専門知識ではどうしても勝てなかった。文系の学生相手でも、地頭でけっこう劣ってるなと思うことがかなりあった。

 それでもIT以外に興味を持てなかった。というより、IT以外のフィールドで自分が勝てると思えなかった。文系に期待されていることは、営業や企画、マネジメントなどだと思うが、自分はこれらで勝負して就活を勝ち抜くことができると思えなかったし、就職できたとしてもその道でプロフェッショナルになれる気がしなかった。それよりも、たとえ今は経験がなくてもエンジニアとしての技術を身に着けることの方が自分には向いていると思った。

 いろいろ理由はあるのだが、BtoBのITに絞り探していた。それまで大きめの会社しか見ていなかったが、ベンチャー系の就活エージェントにも目を配った。そこで、web系のちょっとおもしろそうな事業をしている小さな企業を見つけた。その企業の説明会に12月に参加することにした。日程は夜の19時からとかだった。その日はほかにもけっこう就活の日程を入れており、疲れていた。これからもう1社の説明会かーと思うと、当日の夕方になってあまり参加する気が起きなかった。なんとか頑張って最寄り駅まで来たが、突然強い雨が降ってきた。天気予報は見ていなかった。リクルートスーツはずぶぬれになった。目当ての会社も、その当時は駅から離れており(現在はもっとわかりやすいところに移転した)、しかも大きな都市なのでなかなか見つからなかった。12月の雨の夜で真っ暗なうえに、古いスマホで位置情報がわからず、40分前に駅に着いたにもかかわらずオフィスを見つけることができなかった。開始時刻の19時まであと3分というところだった。やっと見つけることができた。ずぶぬれのままオフィスに入っていった。

 時間ぎりぎりでずぶぬれで現れた私を、社員の方々は優しく迎え入れてくれた。バスタオルみたいなものも用意してくださり、帰り際には傘も貸していただけると言ってくださった(さすがに借りなかったけど)。説明会に来ていた学生は、5人とかその程度だった。説明会では、CEO自らいらっしゃり、事業の説明などいろいろな話を受けた。従来型のSIerとその企業の違いを強調していた。従来型のSIerでは、設計をする人とコーディングをする人が違ったり、多くの人が開発に携わったり、実際のコーディングは下請けに投げたりするので、技術力がつかないということだった。この下請け構造がブラックな構造を作ることになる。その企業は少人数チームで顧客とのコミュニケーション、設計、コーディングまでやり、下請けも受けないし下請けに投げたりもしない。とてもやりがいがありそうで労働環境は良さそうだと思ったが、文系で未経験の私にはハードルが高いと思った。このときの私のITの知識はHTMLとCSSの基礎がわかったり、UNIXのコマンドがちょっとわかる程度だった。

 その説明会ではまだそこまでその企業への志望度は高くならなかったが、エントリーしてみた。そこまで志望度は高くなかったので、ESの志望動機は用意したテンプレを一切加工せずそのまま貼り付け、写真も家でスマホで撮ったものをそのままのっけた(その企業は決まったESのフォーマットがなく、Excelで自分で適当に項目を作って送るというものだった)。ESは通り、人事との一次面接をセッティングしてくれた。日程は、こちらの都合のよい日程を4つほど提示して、企業と調整するという形だったので、授業に支障は出なかった。

 一次面接だった。場所はふつうのおしゃれな会議室で、堅苦しさはなかった。それ以降すべての面接がその部屋だった。人事との面接は、面接と言うよりふつうのおしゃべりみたいなものだった。すごく話しやすい人だったので、その会話を楽しむことができたぐらいだった。自己紹介してくださいとか志望動機を教えてくださいともいわれなかった。履歴書をもとに深ぼっておしゃべりするという感じだった。60分ほどの面接だった。あまり手ごたえがあったのかよくわからなかったが、一次は通った。

 次はSPIと技術部面接だった。技術部長2人対私の面接だったが、こちらはなかなかきつかった。なぜ未経験の文系なのにエンジニアを志望するのか、ということをけっこう細かく突っ込まれた。答えは用意していたので答えることはできた。面接は120分ぐらいと長かった。このあたりから、社員の方々の雰囲気が自分にすごくあっているのではないかと感じ始め、一気に志望度が高くなった。

 技術部面接も通り、次は同日に役員面接とCEO・COO面接だった。役員面接は30分ぐらいで、わりと一般的なことを聞かれた。さんまさんみたいなすごく感じのいい人だった。

 そのすぐあとにCEO・COO面接だった。この面接は、学校で勉強していることを論理的に伝えられるかという面接だった。しっかり勉強している学生を採りたいからだそうだ。勉強はわりとしていたので、口下手な私でも専門分野についてはそれなりにわかりやすく伝えられた自信があった。CEOやCOOを前にかなり緊張したが手応えはあり、その面接も通って内定を頂いた。その企業の雰囲気が自分に合っており、ほかにもっと合いそうなところが見つかるとは思えなかったので、内定を頂けたらそこで就活を終わりにすると決めていた。こうして本採用試験は1社のみを受けて就活を終えることができた。大学4年の4月からはインターン生としてお世話になっている。

 内定を頂いた企業は知名度は低く、100人程度の小規模な会社だが、私はその会社が好きだし、そこで頑張りたいと思っている。同期の技術職は自分以外全員理系の院生ですごい人たちばかりで、やっていけるのか正直不安だが、頑張って努力していきたい。

今日はマレーシアで出会ったエンジニアの人の誕生日だった。私にとってはその人の二回目の誕生日会が昨晩から今朝までカラオケバーで催された。その人のおかげでエンジニアになるということを伝えたら、本当に喜んでくれた。今度マレーシアで起業するから何年かしたらきてよと誘ってくれた。本気かわからなかったけど、嬉しかったし、その人に認められるようなエンジニアになりたいと思った。

本当にマレーシアであのエンジニアの人と出会っていなかったら、間違いなく人生変わってた。もし行ったのがマレーシアじゃなかったら、もし日程がずれていたら、もし誕生日会に誘ってくださらなかったら、、、本当に全然違う人生だった。ほかにも、サークルの先輩でSIerに行く人がいなかったら、ゼミでWeb係じゃなかったら(もともとほかの役職を志望していたがなれなかったので、あえなくwebにしたのだ笑)、、本当に人生ってちょっとしたことで変わっていくんだなって思った。私は内にこもりがちな人間だけれど、人生変えるには外に出ないとね!って思った。

なんかめっちゃ何が言いたいのかわかんない文章になった。笑、

映画『何者』を観てきた

おととい、映画「何者」が公開され、その夜に観に行った。率直に、すごくおもしろかった。原作は既読で、去年の夏、旅行中の暇つぶしに読もうと思ってトルコに持って行ったのだが、成田行きの電車で読み始めたらあまりにおもしろくてそのまま読み続け、乗り継ぎのモスクワ行きのフライトに搭乗する頃にはすでに読み終わってしまい結局ただの荷物になってしまったというほどにおもしろかった。その頃はまだ就活前、夏季インターンなどを就活に含めるなら就活中だったので、就活が本当に怖くなった。今この映画を観た時に、就活が終わっていて本当に良かったと思った。

映画の方は原作に忠実で、話も知っていたので結末もわかっていたが、それでも俳優の演技力が非常に高く、おもしろかった。俳優の演技が原作の登場人物そのまんまと言う感じでリアルだった。主演が佐藤健と聞いた時は、どうなんだろうと思ったが、とてもハマっていた。

あ、これ俺だわー…みたいな場面がけっこうあったりして、見ていて恥ずかしくなることもあった。たぶんけっこうそういう人いると思う。それにしても有村架純は本当にかわいい。

公開中の映画なのであまりネタバレになるようなことは書かないが、これは就活の話と言うよりはSNSの負の側面を就活という題材を使って描いた話、と言う方が正確な気がする。題材が就活であるのは、学生生活のアウトプット、学生生活が凝縮されたものの結果が就活である、という面があるからなんだろうと思う。

だが、SNSは本質的に自己承認欲求を満たすものであると思う。旅行の写真なんて他人に見せる必要はないしちょっとしたいいことなんて自分の胸にしまっておけばいいし、恋人との幸せは二人のうちにおさめておけばいい。そうしないのは、承認欲求があるから。こうやってブログを書いたり、書いたブログをSNSで共有したりするのも承認欲求。何かに対して意見を投稿して批評家気取りになっているのもそう。だが多少承認欲求があったとしても、何も発信しないより何かを発信したほうが世の中にプラスになるかもしれない。それこそ「10%の出来でも20%の出来でもアウトプットを出したほうがいい」と思うので、SNSやブログなどで何かを発信することは本質的に自己承認を一定程度求めているということを認めて開き直ったうえで、今後も変わらずSNSやブログを使っていくんだろうなと思った。

結局また感想ではなく全然関係のない話になってしまった…

あんまり言うとネタバレになるのでこのへんで。

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー映画祭2016に行ってみた

今日は友人に誘われアテネ・フランセ文化センターで行われている「ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー映画祭2016」に行き、

ファスビンダーの映画を二本観た。

一本目は、『不安と魂/不安は魂を食い尽くす』(1974)、二本目は『マルタ』(1975)。

両作に共通しているのは、悲壮感や閉塞感だ。そして、人間の感情、とくにあまりきれいではない部分の性質を細かく描写している。(なぜか今まで観たドイツ映画は全てこの要素を含んでいる)

個人的にはとくに『不安と魂/不安は魂を食い尽くす』のほうが印象に残った、というより思うことが多かったので、こちらについて詳しく書きたい。(総合的な面白さで言えば『マルタ』のほうがおもしろかったし万人受けするかもしれないが。『マルタ』はドメスティックバイオレンスという概念がなかったような時代におけるDVの雛形のような映画だ。)

①差別問題

②テーマとなっている「不安」

③妬み

について書いていきたい。

まずはあらすじをwikipediaより引用する。

「掃除婦として働きながら一人暮らしをしている60代のドイツ人女性エミは、雨宿りに入ったアラブ系のバーで20歳以上も年下のモロッコ人の自動車工アリと出会う。ダンスをし、話をして意気投合した二人は一緒に暮らし始め、結婚する。外国人に対する偏見が強いその町で、アラブ人の外国人労働者と一緒にいることで、隣人、同僚、家族をはじめ、行く先々の人々から差別と偏見に満ちた扱いを受ける。エミはアリを守り、アリはそうした人種差別者に対して寛容にふるまい、二人は幸せに暮らしていたが、ある日エミがアリの自尊心を傷つけるようなことをしたため、アリは家を出る。アリを求めてエミは二人が出会ったバーに行き、最初に踊ったダンスの曲をかける。二人はまたダンスを踊り始めるが、突然アリが腹痛で倒れ、病院に運ばれる。医師から、日常的な差別によるストレスからくる胃潰瘍であることを告げられたエミは横たわるアリに静かに寄り添う。」

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%AE%89%E3%81%A8%E9%AD%82  2016/10/14)

①差別について

この映画は1974年のものだが、舞台となっている時代もそのぐらいだと理解すべきだろう。

正直1974年においてドイツでこれほどアラブ人差別があるということには驚いた。ドイツは、ユダヤ人を差別し迫害し、600万人を殺害したという負の歴史を有しているため、歴史教育が徹底され、差別については過敏であるというイメージだったからだ。映画を観た限りでは、どうやらそういうわけでもなかったようだ。1972年にミュンヘンオリンピック襲撃事件があり、アラブ人への猜疑心などはあったのかもしれない。また、今のようにインターネットが普及していたわけでもないから、異なる人種に対する理解がなかったり、人は人種に関係なく平等であるという価値観が広がっていなかったこともわからなくはない。ただ1970年代ともなればアフリカや中東の多くの国はもう独立している状態であり、いささか差別の度が過ぎているような気もした。

映画の中では「アラブ人はシャワーを浴びないから不衛生」「豚小屋」などといった差別表現が出てくる。もはや同じ人間として見ていない、というレベルだ。見ていて気分が悪くなるほどだ。

また、エミが若い女ではなく老年であるということもファスビンダーには何かしら意図があったはずだ。老いて醜くなった女性の恋、というのも偏見の一つのポイントであるように思う。

21世紀になり、SNSなどの広がりから異なる価値観が認められるようになった。LGBTの人であっても、高齢であっても、国籍が異なっていても、恋愛をすることに対しての理解は一定程度得られるような時代になったと思う。

一方で、この映画から40年以上がたつが人種差別や偏見は根強く残っている。アメリカでは黒人が差別され問答無用で射殺されることがある。またヨーロッパ、この舞台となっているドイツでも、メルケル首相が移民や難民を多く受け入れる政策を取ったが国内で反発が広がり、メルケルキリスト教民主同盟が選挙で敗れ、メルケルは難民を多く受け入れたことは間違いだったと認めてしまった。移民や難民をほとんど受け入れていない日本から、人種差別をやめようなどと言っても偽善であると思うから強く何かを主張することはできないが、『不安と魂/不安は魂を食い尽くす』のような差別をリアルに描いた映画は多くの人に見られるべきであろう。こういった歴史の映画の価値は、歴史上の愚行や悲劇を今に知らしめ、警鐘を鳴らすことにあるのではないかと思う。

②「不安」について

映画の冒頭で、「幸せがいいこととは限らない」みたいな文字が流れる。また、アリのセリフで、「不安が魂を食い尽くす」というものがあった。どういう意味かと思ったが、映画を観ていくうちになんとなくわかった。幸せを一度手に入れると、失うことが怖くなる、また、失ったときのダメージが計り知れないほど大きくなるのだ。エミはアリと結婚して幸せを築くが、周囲からの偏見によりアリが傷つき、アリが離れていくことを恐れるようになる。実際一度アリはエミから離れる。エミの絶望的な様子が描かれる。

不安が魂を食い尽くす、とは言い得て妙だ。私自身も不安症なのでよくわかる。例えば、将来への不安から、カラオケで歌っていたり友達と遊んでいたりする時も、こんなことしていて大丈夫だろうか、勉強しなければ、と思ってしまい、目の前に幸せに向き合えなくなるのだ。また、愛する交際相手がいたとして、相手は本当に自分を愛しているのか、別れてしまわないか、と不安になってしまう。勝手に不安になっているだけならいいのだが、厄介なことにこういう不安は周囲に伝わってしまうものなのだ。周囲に伝わった自身の不安が導引となって恐れていた結果を招くということは往々にしてある。

もちろん不安を抱くことは人間なら当然のことと思うが、自分に自信を持って不安を払いのけられるような人間になりたいものだ。

③妬み

結婚したエミとアリは偏見と差別の目にさらされる。しかし、そこにあったのは差別や偏見だけではなく、妬みもあったのではないかと思う。エミにひどい言葉をかけた同じアパートに住むおばあさんたちには彼女らの夫の描写はなく、一人で孤独に生きているという印象を受けた。エミの娘にしても、彼女が同棲している男性はかなりのクズ人間のようだ。

もしかしたら、老齢ながら屈強な夫を手に入れたエミへの妬みの気持ちがあったのかもしれない。

自分が成功を収めたり、幸福を得たりする場合、他の誰かの成功や幸福を犠牲にしていることや、他人からの妬みを買っているということは多々ある。もし自分が何かで成功したり幸福を得たりしても、謙虚であり誰かを犠牲にしたということに対して自覚的であらねばならないと思った。私はそういうところに気がきかないところがあるので、自己への戒めとしたい。

初めて長々と映画の感想を書いたが、文章力もなく稚拙な内容となってしまい、感想と言うよりエッセイのようになってしまった。

だが、このようにして考えをまとめる訓練を続けていきたい。

ブログを始めました。

はじめまして、

都内の私立大学に通う政治学、とくに国際政治学を専攻する男子学生です。

文系で数学は高2で捨てた私ですが、2017年の春からは都内のITベンチャー企業でWebエンジニアとして働くことになりました。

そのため、卒論書かなきゃなーと思いつつも、最近は興味対象がすっかり変わってしまいWebアプリを作ることや

そのための勉強に躍起になっているような状態です。

この度は社会人になるうえで、口下手な自分を変えるために自分の考えをまとめたりする訓練をする場所があったほうがいいなと思いブログを開設してみました。

内容は政治や映画、また技術のことなどあまり縛られず自由に書いていきたいと思います。

どうぞよろしくお願い致します。