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ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー映画祭2016に行ってみた

今日は友人に誘われアテネ・フランセ文化センターで行われている「ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー映画祭2016」に行き、

ファスビンダーの映画を二本観た。

一本目は、『不安と魂/不安は魂を食い尽くす』(1974)、二本目は『マルタ』(1975)。

両作に共通しているのは、悲壮感や閉塞感だ。そして、人間の感情、とくにあまりきれいではない部分の性質を細かく描写している。(なぜか今まで観たドイツ映画は全てこの要素を含んでいる)

個人的にはとくに『不安と魂/不安は魂を食い尽くす』のほうが印象に残った、というより思うことが多かったので、こちらについて詳しく書きたい。(総合的な面白さで言えば『マルタ』のほうがおもしろかったし万人受けするかもしれないが。『マルタ』はドメスティックバイオレンスという概念がなかったような時代におけるDVの雛形のような映画だ。)

①差別問題

②テーマとなっている「不安」

③妬み

について書いていきたい。

まずはあらすじをwikipediaより引用する。

「掃除婦として働きながら一人暮らしをしている60代のドイツ人女性エミは、雨宿りに入ったアラブ系のバーで20歳以上も年下のモロッコ人の自動車工アリと出会う。ダンスをし、話をして意気投合した二人は一緒に暮らし始め、結婚する。外国人に対する偏見が強いその町で、アラブ人の外国人労働者と一緒にいることで、隣人、同僚、家族をはじめ、行く先々の人々から差別と偏見に満ちた扱いを受ける。エミはアリを守り、アリはそうした人種差別者に対して寛容にふるまい、二人は幸せに暮らしていたが、ある日エミがアリの自尊心を傷つけるようなことをしたため、アリは家を出る。アリを求めてエミは二人が出会ったバーに行き、最初に踊ったダンスの曲をかける。二人はまたダンスを踊り始めるが、突然アリが腹痛で倒れ、病院に運ばれる。医師から、日常的な差別によるストレスからくる胃潰瘍であることを告げられたエミは横たわるアリに静かに寄り添う。」

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%AE%89%E3%81%A8%E9%AD%82  2016/10/14)

①差別について

この映画は1974年のものだが、舞台となっている時代もそのぐらいだと理解すべきだろう。

正直1974年においてドイツでこれほどアラブ人差別があるということには驚いた。ドイツは、ユダヤ人を差別し迫害し、600万人を殺害したという負の歴史を有しているため、歴史教育が徹底され、差別については過敏であるというイメージだったからだ。映画を観た限りでは、どうやらそういうわけでもなかったようだ。1972年にミュンヘンオリンピック襲撃事件があり、アラブ人への猜疑心などはあったのかもしれない。また、今のようにインターネットが普及していたわけでもないから、異なる人種に対する理解がなかったり、人は人種に関係なく平等であるという価値観が広がっていなかったこともわからなくはない。ただ1970年代ともなればアフリカや中東の多くの国はもう独立している状態であり、いささか差別の度が過ぎているような気もした。

映画の中では「アラブ人はシャワーを浴びないから不衛生」「豚小屋」などといった差別表現が出てくる。もはや同じ人間として見ていない、というレベルだ。見ていて気分が悪くなるほどだ。

また、エミが若い女ではなく老年であるということもファスビンダーには何かしら意図があったはずだ。老いて醜くなった女性の恋、というのも偏見の一つのポイントであるように思う。

21世紀になり、SNSなどの広がりから異なる価値観が認められるようになった。LGBTの人であっても、高齢であっても、国籍が異なっていても、恋愛をすることに対しての理解は一定程度得られるような時代になったと思う。

一方で、この映画から40年以上がたつが人種差別や偏見は根強く残っている。アメリカでは黒人が差別され問答無用で射殺されることがある。またヨーロッパ、この舞台となっているドイツでも、メルケル首相が移民や難民を多く受け入れる政策を取ったが国内で反発が広がり、メルケルキリスト教民主同盟が選挙で敗れ、メルケルは難民を多く受け入れたことは間違いだったと認めてしまった。移民や難民をほとんど受け入れていない日本から、人種差別をやめようなどと言っても偽善であると思うから強く何かを主張することはできないが、『不安と魂/不安は魂を食い尽くす』のような差別をリアルに描いた映画は多くの人に見られるべきであろう。こういった歴史の映画の価値は、歴史上の愚行や悲劇を今に知らしめ、警鐘を鳴らすことにあるのではないかと思う。

②「不安」について

映画の冒頭で、「幸せがいいこととは限らない」みたいな文字が流れる。また、アリのセリフで、「不安が魂を食い尽くす」というものがあった。どういう意味かと思ったが、映画を観ていくうちになんとなくわかった。幸せを一度手に入れると、失うことが怖くなる、また、失ったときのダメージが計り知れないほど大きくなるのだ。エミはアリと結婚して幸せを築くが、周囲からの偏見によりアリが傷つき、アリが離れていくことを恐れるようになる。実際一度アリはエミから離れる。エミの絶望的な様子が描かれる。

不安が魂を食い尽くす、とは言い得て妙だ。私自身も不安症なのでよくわかる。例えば、将来への不安から、カラオケで歌っていたり友達と遊んでいたりする時も、こんなことしていて大丈夫だろうか、勉強しなければ、と思ってしまい、目の前に幸せに向き合えなくなるのだ。また、愛する交際相手がいたとして、相手は本当に自分を愛しているのか、別れてしまわないか、と不安になってしまう。勝手に不安になっているだけならいいのだが、厄介なことにこういう不安は周囲に伝わってしまうものなのだ。周囲に伝わった自身の不安が導引となって恐れていた結果を招くということは往々にしてある。

もちろん不安を抱くことは人間なら当然のことと思うが、自分に自信を持って不安を払いのけられるような人間になりたいものだ。

③妬み

結婚したエミとアリは偏見と差別の目にさらされる。しかし、そこにあったのは差別や偏見だけではなく、妬みもあったのではないかと思う。エミにひどい言葉をかけた同じアパートに住むおばあさんたちには彼女らの夫の描写はなく、一人で孤独に生きているという印象を受けた。エミの娘にしても、彼女が同棲している男性はかなりのクズ人間のようだ。

もしかしたら、老齢ながら屈強な夫を手に入れたエミへの妬みの気持ちがあったのかもしれない。

自分が成功を収めたり、幸福を得たりする場合、他の誰かの成功や幸福を犠牲にしていることや、他人からの妬みを買っているということは多々ある。もし自分が何かで成功したり幸福を得たりしても、謙虚であり誰かを犠牲にしたということに対して自覚的であらねばならないと思った。私はそういうところに気がきかないところがあるので、自己への戒めとしたい。

初めて長々と映画の感想を書いたが、文章力もなく稚拙な内容となってしまい、感想と言うよりエッセイのようになってしまった。

だが、このようにして考えをまとめる訓練を続けていきたい。