イスタンブール行きたい

たまに書きたくなります

マレーシアでの出会いと私の就活 ちょっとした偶然の出会いが人生を大きく変えちゃったりする話

映画『何者』を観ていろいろ就活のことも思い出したりしたので、せっかくなので自分の就活を振り返ってみた。

これこそまさに承認欲求みたいで痛々しいが、これから就活を控えている人で、私のような口下手でコミュ力なくて「就活が苦手」な人の助けになれる可能性があると思うので、痛々しいのは自覚したうえでまとめてみる。

*実際書いてみたらただの何が言いたいのかよくわからん回想文になってしまい、なにも就活生の参考になることがなさそうな内容になってしまった。。。でもまあブログは本質的に自己満足的なものということで。。。

まず、私がどういう学生であったか、ということと、私の就活を振り返る。ただ、変な就活をしていたので就活の方法論的な話(何社エントリーして何社受けたとか、この時期どんな過ごし方してたとか)には参考にならない。とりあえず就活生にとってはサンプルは多い方がいい気がするので、とりあえず書きました。

以下に私の学生生活や私がどんな人間かを簡単に示す。

 ・田舎、ではないけれど大学内では田舎な方の公立高校出身。高校はラグビー部所属。

 ・田舎の公立高校のゴールは、受験に受かること。狭い世界しか知らなかった。

 ・高学歴とされる私立大の法学部。

 ・サークルは学生団体と音楽サークル。(音楽サークルにはあまり顔を出していなかった)

 ・学生団体に入ってみたものの、周りはすごい人たちばかりで劣等感に苦しんだ。

  自分にはリーダーシップもしっかりした考えもないということがよくわかった。

 ・学生団体の活動を通して、自分はチームを率いるのは無理で、それよりもチームの一員としてチームに貢献する方が向いているとわかった。

 ・大学の授業には真面目に出ていた。勉強はわりと好きだった。

 ・口下手コミュ障。自分の考えを言語化できない、もしくはそもそも考えがない。 (このブログを始めた理由でもある)

 ・行動力がない。口だけは偉そうなくそみたいなやつ。

 ・学生団体を利用し学部1年時に6週間アフリカに滞在し、ボランティア系インターンシップに参加。この話を一番就活の話のネタにしてた。

 ・TOEICは800点台後半。

 ・バイトは塾講師、飲食、民間学童保育運営のインターンを経験。

こんな感じです。

次に、就活を振り返る。結果から言うと、就活はほとんど苦労することなく終わった。日経大手の解禁が3月で、面接開始が6月というスケジュールだったが、内定先はITベンチャーで、スケジュールにとらわれることなく選考が行われており、大学3年の1月に就職活動を終えることができた。だから私は、ドラマであるような大きな広い部屋でめっちゃ離れた机の偉い人との面接(ほんとにそんなのあるんですか?)、ESをたくさん書かなければならない苦労、面接のスケジューリングの苦労、スマホを離さず持っていて連絡を待つ苦労などは経験していない。ただ、私が就活を早く終えることができたイコール私が就活が得意だった、ではなく、間違いなく私は就活がとてもとても苦手だった。内定先の企業の倍率は知らないが、知名度もないし5倍もないのではないだろうか。わからないけれど。

 秋や冬の選考のあるインターンシップはけっこうたくさんの会社にエントリーしたが、どれもES落ちか1次面接落ちだった。理由は簡単で、私が口下手で頭の回転が遅いからだ。通った1社も、多くのタームで何度もインターンシップを催しており、集団面接だったが同じ組の7割ぐらいがインターンに参加できていたようなところだった。どうしてそれでも早く内定を取ることができたかは、結果論になってしまうが、偏に自分に合う企業を見つけることができたからだと思う。

 内定を頂いた企業は、都内のITベンチャーだ(ベンチャーといっても創立から約15年たっているので、ベンチャーといえるのかどうか怪しいが)。なぜ文系ながらITを志望したか、というと、そのきっかけは大学2年の春休みにまでさかのぼる。大学2年の春休み、一人でマレーシアに旅行に行った。そこで、偶然一人の日本人男性に出逢った。その人は本当にコミュ力の塊みたいな人だった。しかもめちゃめちゃチャラい。最初は苦手な人だと思った。基本的に真面目な自分と対照的なように思えたからだ。実際対照的な、真逆な人だった。しかし後にものすごくその人に惹かれることになる。

 数日の間その人と行動を共にすることになった。歳を聞けば、30歳と言っていた。もっと若そうに見えたので驚いたが、なんで30にもなってこんなに東南アジアをふらふらしているのだろうと思った。なんとその人、フリーランスのエンジニアで稼ぎたいときに稼いで好きなときに旅行しているのだという。その人のカリスマ性、そしてエンジニアということに、単純にかっこいい!!と思って、憧れた。私も、技術を身に着けてどこででも生きていけるようになりたいと思った。ちなみにその人は現在は会社を立ち上げてCEOになっている。来年にはマレーシアでも起業するらしい。

 マレーシアから帰国し、その日本人への憧れは鮮明に残っていたものの、行動力のない私はすぐに何か行動を取るわけでもなかった。大学の授業でHTMLとCSSをちょっと触ったぐらいだ。だがやはり自分にはできなそうだと思ってITのことはしばらく忘れた。3年になり、就活を意識し始めた。私は不動産に興味を持ち始めた。深い理由はなく、単純に東京の街がかっこよかったからだ。夏ぐらいまでは興味を持っていたが、いろいろ考えて辞めた。理由はいろいろあるが、あの高倍率を戦うのは効率が悪いし自分には無理だと思ったからだ。

 9月になると、8月解禁だった1個上の先輩も就活がだいたい終わっていたので、サークルの先輩に話を聞いた。聞けば、文系の先輩で未経験から大手のシステムインテグレータに行く人が数名いるということだった。自分にはできないと思っていたエンジニアもできるのかもしれないと思い始めた。また、この頃、自分が所属するゼミのホームページの編集を行い、こんな楽しいことはなかなかないなと思った。ホームページといってもテンプレートのあるwixを使っているのでコードは全く書かないし、静的な非常に簡単なサイトではあるのだが。それでも自分はなにかをつくるのが好きなんだと思った。

 10月になった。10月はマレーシアで出会ったエンジニアの人の誕生日会があった。自分で自分の高校や大学、昔の職場の知り合いを集めて、そこで1つのコミュニティとしてしまうようなすごい人だ。15人ぐらい集まったが、エンジニアの知り合いというだけあってエンジニアの人が多く集まっていた。その人たちからいろいろな話を聞いて刺激され、よしエンジニアになろうと思った。そうして10月以降はITのみに絞った。ほかの業界にはまったく興味がなかった。

 

 ITにもいろいろある。システムインテグレータやWeb系など(ITに対してブラックなイメージを持っているとしたら、それは前者もしくは前者の下請けだ)。日本においては、ITの大企業で安定していて高収入といえばシステムインテグレータ(SIer)などだ。具体的な企業名を挙げれば、NTTデータ新日鉄住金ソリューションズ、野村総合研究所、SCSK、富士通などだ。秋以降、私はそれらの企業の長期インターンにエントリーした。しかし、前述のように通ったのは1社のみだった。選考なしの1dayインターンにも参加したが、周りは理系の院生が多く、専門知識ではどうしても勝てなかった。文系の学生相手でも、地頭でけっこう劣ってるなと思うことがかなりあった。

 それでもIT以外に興味を持てなかった。というより、IT以外のフィールドで自分が勝てると思えなかった。文系に期待されていることは、営業や企画、マネジメントなどだと思うが、自分はこれらで勝負して就活を勝ち抜くことができると思えなかったし、就職できたとしてもその道でプロフェッショナルになれる気がしなかった。それよりも、たとえ今は経験がなくてもエンジニアとしての技術を身に着けることの方が自分には向いていると思った。

 いろいろ理由はあるのだが、BtoBのITに絞り探していた。それまで大きめの会社しか見ていなかったが、ベンチャー系の就活エージェントにも目を配った。そこで、web系のちょっとおもしろそうな事業をしている小さな企業を見つけた。その企業の説明会に12月に参加することにした。日程は夜の19時からとかだった。その日はほかにもけっこう就活の日程を入れており、疲れていた。これからもう1社の説明会かーと思うと、当日の夕方になってあまり参加する気が起きなかった。なんとか頑張って最寄り駅まで来たが、突然強い雨が降ってきた。天気予報は見ていなかった。リクルートスーツはずぶぬれになった。目当ての会社も、その当時は駅から離れており(現在はもっとわかりやすいところに移転した)、しかも大きな都市なのでなかなか見つからなかった。12月の雨の夜で真っ暗なうえに、古いスマホで位置情報がわからず、40分前に駅に着いたにもかかわらずオフィスを見つけることができなかった。開始時刻の19時まであと3分というところだった。やっと見つけることができた。ずぶぬれのままオフィスに入っていった。

 時間ぎりぎりでずぶぬれで現れた私を、社員の方々は優しく迎え入れてくれた。バスタオルみたいなものも用意してくださり、帰り際には傘も貸していただけると言ってくださった(さすがに借りなかったけど)。説明会に来ていた学生は、5人とかその程度だった。説明会では、CEO自らいらっしゃり、事業の説明などいろいろな話を受けた。従来型のSIerとその企業の違いを強調していた。従来型のSIerでは、設計をする人とコーディングをする人が違ったり、多くの人が開発に携わったり、実際のコーディングは下請けに投げたりするので、技術力がつかないということだった。この下請け構造がブラックな構造を作ることになる。その企業は少人数チームで顧客とのコミュニケーション、設計、コーディングまでやり、下請けも受けないし下請けに投げたりもしない。とてもやりがいがありそうで労働環境は良さそうだと思ったが、文系で未経験の私にはハードルが高いと思った。このときの私のITの知識はHTMLとCSSの基礎がわかったり、UNIXのコマンドがちょっとわかる程度だった。

 その説明会ではまだそこまでその企業への志望度は高くならなかったが、エントリーしてみた。そこまで志望度は高くなかったので、ESの志望動機は用意したテンプレを一切加工せずそのまま貼り付け、写真も家でスマホで撮ったものをそのままのっけた(その企業は決まったESのフォーマットがなく、Excelで自分で適当に項目を作って送るというものだった)。ESは通り、人事との一次面接をセッティングしてくれた。日程は、こちらの都合のよい日程を4つほど提示して、企業と調整するという形だったので、授業に支障は出なかった。

 一次面接だった。場所はふつうのおしゃれな会議室で、堅苦しさはなかった。それ以降すべての面接がその部屋だった。人事との面接は、面接と言うよりふつうのおしゃべりみたいなものだった。すごく話しやすい人だったので、その会話を楽しむことができたぐらいだった。自己紹介してくださいとか志望動機を教えてくださいともいわれなかった。履歴書をもとに深ぼっておしゃべりするという感じだった。60分ほどの面接だった。あまり手ごたえがあったのかよくわからなかったが、一次は通った。

 次はSPIと技術部面接だった。技術部長2人対私の面接だったが、こちらはなかなかきつかった。なぜ未経験の文系なのにエンジニアを志望するのか、ということをけっこう細かく突っ込まれた。答えは用意していたので答えることはできた。面接は120分ぐらいと長かった。このあたりから、社員の方々の雰囲気が自分にすごくあっているのではないかと感じ始め、一気に志望度が高くなった。

 技術部面接も通り、次は同日に役員面接とCEO・COO面接だった。役員面接は30分ぐらいで、わりと一般的なことを聞かれた。さんまさんみたいなすごく感じのいい人だった。

 そのすぐあとにCEO・COO面接だった。この面接は、学校で勉強していることを論理的に伝えられるかという面接だった。しっかり勉強している学生を採りたいからだそうだ。勉強はわりとしていたので、口下手な私でも専門分野についてはそれなりにわかりやすく伝えられた自信があった。CEOやCOOを前にかなり緊張したが手応えはあり、その面接も通って内定を頂いた。その企業の雰囲気が自分に合っており、ほかにもっと合いそうなところが見つかるとは思えなかったので、内定を頂けたらそこで就活を終わりにすると決めていた。こうして本採用試験は1社のみを受けて就活を終えることができた。大学4年の4月からはインターン生としてお世話になっている。

 内定を頂いた企業は知名度は低く、100人程度の小規模な会社だが、私はその会社が好きだし、そこで頑張りたいと思っている。同期の技術職は自分以外全員理系の院生ですごい人たちばかりで、やっていけるのか正直不安だが、頑張って努力していきたい。

今日はマレーシアで出会ったエンジニアの人の誕生日だった。私にとってはその人の二回目の誕生日会が昨晩から今朝までカラオケバーで催された。その人のおかげでエンジニアになるということを伝えたら、本当に喜んでくれた。今度マレーシアで起業するから何年かしたらきてよと誘ってくれた。本気かわからなかったけど、嬉しかったし、その人に認められるようなエンジニアになりたいと思った。

本当にマレーシアであのエンジニアの人と出会っていなかったら、間違いなく人生変わってた。もし行ったのがマレーシアじゃなかったら、もし日程がずれていたら、もし誕生日会に誘ってくださらなかったら、、、本当に全然違う人生だった。ほかにも、サークルの先輩でSIerに行く人がいなかったら、ゼミでWeb係じゃなかったら(もともとほかの役職を志望していたがなれなかったので、あえなくwebにしたのだ笑)、、本当に人生ってちょっとしたことで変わっていくんだなって思った。私は内にこもりがちな人間だけれど、人生変えるには外に出ないとね!って思った。

なんかめっちゃ何が言いたいのかわかんない文章になった。笑、